June 09, 2006

25: 光と窓

Posted by
Yuki
at
11:59 PM
-- カテゴリ :
撮影
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コメント (2)

20060609_bus01.jpg
Rolleiflex 3.5F :: Fujicolor PRO400

以前紹介した集会所の台所もそうだったのだけれど、時にガラスや金属の面に被写体が反射して、目の前に面白い光景が広がっていることがある。僕は、そういった場面に遭遇したら真っ先に撮影してしまう程の反射好きである。反射があると、本来は写らないものまでフレームに含まれて空間が広がったり、色彩や構図に変化が加わって、目の前の被写体と空間が、そこにある姿とはまた違った特別なものとしてフィルムに記録される。これは自然を利用した特殊効果といったところである。

映画撮影の技術的な話をすると、ガラス越しに何か被写体を写すときには、そのガラスの映りこみを偏光フィルタというものを利用して取り除くのが一般的である。ここで上の写真の構図をモチーフにして話をしてみる。例えば、バスの中に運転手と助手席にもう一人いて、彼らの会話のシーンを車外から撮影しているとする。そんなとき、写真上に見られるようなフロントガラス上の木の映り込みは、観客が会話に集中するには目障りになる可能性がある。撮影者は、ストーリーを効果的に伝える上でその映り込みが不必要だとすれば、フィルタを装着して意図的に排除する。

しかし反対に、表現上の理由で、そんな映り込みをあえて撮影する場合もある。それは口で説明するのが難しいし、たぶん見てもらったほうが早いと思うので一枚イメージをあげてみる。

20060609_ref01.jpg

この画像は、ヴィム・ヴェンダース監督によるロードムービーの傑作「パリ・テキサス」のワンシーン。主人公の男性が若き日に別れた元妻とガラス越しの部屋で再会し、用意された電話を介して会話をするシーンである。奥の部屋にいる元妻の顔と、手前にいる主人公の顔がガラス上で重なり合っているのが、写真上で確認出来ると思う。2人を物理的にガラス1枚隔てることで、これ以上は近づくことが出来ない2人の関係を暗示する一方、内面的には近づいて昔のように1つになろうとしている2人の本心がガラス上の映り込みで表現されている。このシーンでは、ただリアルに撮影してストーリーを伝えるのではなく、2人の関係を象徴的にあらわすために、撮影技術が上手に活用されているのである。この映画を見るたびに、本当によく考えられているよなあと関心してしまう。もし撮影監督のロビー・ミューラー氏と出会う機会などあったなら僕は何を差し置いてもこのシーンのことを聞きたいなあなんて思っている(けど機会あるのかな。笑)

ガラス上の映り込みだけではなく、ステンドグラスを通した色付きの光を被写体に当てることもあるし、外の景色をガラスを介して部屋の中のものに映し込むこともある。例えば、コンラッド・ホールという有名な撮影監督が手がけた「冷血」という作品には、もうすぐ刑の執行をむかえんとする死刑囚が、窓際で自分の父について語るシーンがある。部屋の中は暗い。外はどしゃぶりの雨。部屋の外の明るい外套だけが横から死刑囚の顔を照らしている。その死刑囚は、冷静に、淡々と、自分の父の話を語りはじめる。その目はまっすぐ前を向き、少しも動揺していないかのような姿である。

場面設定をありのまま説明すると、そんな感じである。しかしそこに1つのマジックが存在する。窓の外にある強い光が雨粒を照らし、その照らされた雨粒の影がガラス窓に当たり、そしてガラス窓で屈折した光が死刑囚の顔を照らしている。するとどうなるか。淡々と話すその顔の上に、あたかも涙が流れているかのように雨粒が映り込んでいるのである。その涙のような光の動きは、表情には動揺を全く感じさせない死刑囚の内なる心の叫び、悲しみ、そんな心象を暗示するような印象的な表現となって、劇的な効果をあげている。(コンラッド・ホール氏は、こうした現象が現れているのを、現場で見つけてしごく興奮したらしい。彼はこの効果を「Purely Visual Accident」だと述べている。-ドキュメンタリー映画"Visions of Light"より)

こうした神がかった数々の名ショットが、映画の歴史には存在する。伝説的な名ショットといっても、それらのショットが緻密な計算によって構築されるときもあれば、偶発的に発見されることもある。しかし結局1ついえることは、そうした光の動きに常に敏感であって始めてこうした表現を撮影できる高みへと到達できるということ。そしてベースとして、ひらめいた表現を的確にフィルム上に記録する技術力を習得する必要がある。がんばろう。そしていつかは僕もこんなドラマチックな撮影で、自分が関わる映画に貢献できたらなあとの夢を抱いている。それゆえに、もっともっと日々光のうごきに敏感でありたいなあと思う今日この頃。